◇第1章 生き残るには法則がある
《不思議な力が人々を守った》

人間の生死は紙一重

人間の生死の境というのはまさに紙一重である。しかし、よくよく考えてみれば、私たちがこの世に生きているということ自体が、奇跡ともいえる偶然の結果とはいえまいか。

たとえば、車を運転する。歩行者とすれ違う。数センチのわきを人は平気で歩く。一歩間違えばあっというまに人身事故である。飛行機だってそうだ。離陸や着陸などまさに成功と失敗はコンマ数秒の違いでしかない。また、駅のプラットホームを歩く。あと数センチで落ちるところにいても、自分から落ちようとしないかぎりは、落ちることはまずない。

このように、ふだん、さりげなく私たちが日常のものにしていることでも、生と死のぎりぎりのところをじつは生きている、ということに気づくはずである。

阪神大震災でもそうであったように、生と死は、なにかの偶然が作用した結果、分かたれている。

そもそも人間一人が生まれてくるときも、10万個のなかのほんの一つの精子と卵子の結合で誕生する。ものすごい偶然の結果である。

それでは人間の意志でコントロールできる領域というのは、この世の中でいったいいくらあるのか、と考えてしまう。はたして、ほんのわずかしかないのではなかろうか。

人の生死はもとより、人間どうしの出会い、生まれ育った時代、これら人生を大きく左右してしまうほどの要素はすべて、あなたの意志とはかかわりなく、なにかとてつもなく大きな力で決定されていっていることは間違いない。

だが、知っておいてほしいことは、それらはきちんと秩序立って、すべての人間、いや全生命に平等にはたらいているという事実である。完ぺきなまでに秩序立てられたルールにもとづいて、一糸乱れず運行されているのである。

地球は1日24時間かかって自転し、365日かかって太陽を一回りする。そして、すべての天体は、厳密な一定のルールに沿って配置されている。だから、地球は他の惑星とぶつかることなく、存在していられるのである。

そして、地球上の生物も、その大宇宙のルールのもとで、その枠のなかできちんと生かされているのである。

さもなければ、地球上の、一つの生命たりともまともに種を残し、寿命をまっとうすることができなくなるに違いないのだ。

つまり、生きているということは、そこに生きるのに必要最低限の目に見えぬ力が作用しているということである。だからこうも言える。私たちはその生かそうとする力がはたらいている以上は、必ず生きていける。