人間は、心臓を自分の力で動かしているのではない。大自然の目に見えない力で動かされているのである。つまり、なんらかのエネルギーがつねにわれわれ人間を貫いていることになる。
わかりやすいように私は、この人間を生かしめている宇宙の根源的な力、エネルギーを「天行力」と名づけている。
天行力とは、目には見えないが、この字宙空間にあまねくみなぎり、あらゆる生命を生かしている、生命活性エネルギーである。
つまり天行力というのは、生物にとっては、生命力そのものであるのだ。たんなる有機物にすぎないその肉体が生命として活動するには、外側からの「何か」が吹きこまれなければならない。その何かが消え去れば、生物は、死にいたる。この「何か」こそが、天行力であるのだ。つまり、「生命の源のエネルギー」であるのだ。
私たち生あるものは、この天行力を取りこみながら、生命活動を行う。取りこむことができないと、さまざまな支障をきたす。心身の病気に始まり、生活にかかわるすべてのことがらに差しさわりを生ずるようになる。
天行力は、自然法則が定めた秩序に沿って作用する。つまり、取りこむ側が自然の法則に沿っている場合は、この生命の源であるエネルギーが十分に貫通し、逆に沿えない生体には貫通しない。
つまり、この世界のすべては法則によって運ばれるという定めが、天行力にも貫かれているのだ。言い換えれば「法則に沿う」ということと「天行力が通る」ということは、ぴったりと重なっているのである。
この天行力さえ十分に通れば、人はその人生に問題を寄せつけず、与えられた寿命を繁栄のうちにまっとうする。間違っても事故や災害に巻きこまれて命を失うことはない。
唯物的なものの見方に支配されている現代の人間は、これがうまく理解できない。生命活性のエネルギーが健康体を保つというのは理解するのだが、これがたとえば金銭的な問題や結婚、さらに事故や災害に遭うというようなところにまで作用するというのは不合理な話だと考えてしまうのだ。
しかし、この世界には科学者みずからが発見せざるをえなかった「非・科学的な事実」というものが存在する。たとえばそれを科学は「共時性」あるいは「同時性」と名づけた。
これは、一見異なっている宇宙のおのおのの物事が互いに目に見えぬ糸でつながれているという説である。つまり、この世に起きる事象は、よそよそしい別々の出来事ではなく、「根底のところで一つのまとまった顔をもっている」ということであるのだ。
天行力が生体に深く浸透して心身の健康を改善すれば、その生体が生きるうえでのすべての事象が「同時」に改善される……。「万物照応」という言葉があるが、「ある種の物事は一緒に起こることを好む」のである。
「一事は万事につながる」。この一事が天行力であるといっても差しつかえあるまい。
天行力の通る体になる。それはまさしく、先に述べた「生への磁力」を獲得することであり、どのような災害に遭おうとも生き残ることであるのだ。