◇第3章 事実は常識を超越する
──私はこうして災難をのがれた
《助かる人は人生をよろこべている》

まわりの家が倒壊しても、わが家は無事だった

次に挙げる例は、まわりの家が次々と倒壊したなかで、自分の家だけがまったく損傷を受けずに残った事例である。

 

◆外へ出てあ然、本造家屋の私の家だけがぽつりと残っていた

(神戸市東灘区 Y・Yさん 執筆当時・76歳)

地震が発生した時刻、当然ながら私は睡眠中でした。激しい揺れに驚いて目をさますと、すぐに外へ飛び出そうと玄関へやっとの思いでたどりつきました。

すると、玄関口に置かれていたタンスが、いまにも私の頭部に倒れようとしているではありませんか。ところが、何かに引っかかったのか、うまい具合にタンスは倒れてこず、一命を取りとめたのです。

なんとか揺れがおさまった。そう思って近所の様子をうかがいに外に出た私は、まわりのあまりの変わりようにあ然としました。瓦礫の山の中に私の家だけがぽつりと立っているのです。

私が住む地区は被害が大きく、鉄筋コンクリートで造られた住居がバタバタと倒れ、線路が曲がり、地盤が沈下したりしたところです。にもかかわらず、私の家はまったくなんの被害もなく、そのまま立派に残っています。「木造家屋のこの家だけが、なぜ残ったのか」と、近所の人々も不思議がるばかりです。近隣の家はほとんど倒壊し、瓦礫の山ができていますから、私の家はすっかり孤立して、たどり着くのがやっとの状態です。

付近では、多くの人が避難所生活を強いられました。生きるために食糧を求め、飲料水を求め、近所をさまよっていました。

私の家は、地震によって多少は荒れたものの、一日で片づけを終えることができましたので、奇跡的にもそのまま自宅で生活をつづけております。

アタマを取って、目に見えない何かが私の家を守ってくれたのだと感謝にたえません。

 

◆ひどい揺れのなか、お墓も無事。子どもの入試にもまったく影響なし

(神戸市西区 K・Tさん 執筆当時・38歳)

今回の地震は、想像さえしていませんでした。大きな揺れに目をさましたとき、とにかく揺れがおさまるまで、しばらくじっとしていました。

状況はといえば、まずまわりの家の瓦は全部外れ、崩れ落ちていました。揺れの最中、真っ先に聞こえたものすごい音はその音だったのだとあとで気がつき、背筋が凍る思いがしました。

しかし、不思議なことに、私の家だけは瓦一つとして、なにも損傷を受けなかったのです。

それだけではありません。私はもとより、家族中をさらに「アッ」と驚かせる事実が待っていました。家の近所の墓地では、ひどい揺れのため、お墓(墓石)がバタバタと無残にも倒れていました。心配しながら私の家のお墓を見たところ、なんとまったくそのままの状態で残っているではありませんか。しっかりと大地に立っていたのですから、驚きです。

少し落ちついてから、墓地には倒れたお墓を直す人がたくさん訪れましたが、私の家のお墓を見ると、決まってだれもが不思議そうに首をかしげていました。

家族もおかげさまで全員無事でした。子どもの高校入試の日が迫っておりましたが、難なく受験に向かうこともできました。

このような状況に直面したことで、アタマを取っていてあらためてほんとうによかったと、家族一同感謝しております。

家も損傷を受けることなく、まったく無事でした。そばにある納屋も無傷で、不思議としかいいようがありません。

 

──いかがだろうか。にわかには信じられない事例かもしれない。しかし、これは隠しようのない事実そのままである。

なぜアタマを取ったことで、住んでいる家までもが被害を免れるのかと不思議に思われる方も多いと思う。

後にまた述べるが、人間の「(おも)い」というものは、一種の波動であり、それ自体エネルギーである。人が心の底から、言い換えれば、潜在的なところから発せられるものは、自分という個の内側にとどまらず、波動となってあらゆるものに伝播し、この宇宙を満たすのである。それ自体が、すでに大きなエネルギーであるのだ。

これはたとえば、こういうことだ。

ある一家が自分の住んでいた家から引っ越したとする。すると、空き家になったその家はしばらくすると、相当荒れ果てる。急に古くなったように感じてしまう。理屈からすると、外装まで小まめに手入れする持ち主などいないはずだから、外観だけでもそのままの状態を保っていいはずである。ところが、その家はまるで魂を抜かれたように、急にさびれて見えるものである。

家屋というモノであろうとも、人間の波動の影響を受けているのである。つまり、その家に住んでいる人の(おも)いのエネルギーが家屋に伝わるのである。

潜在的に刻まれた「よろこびの波動」は、同時に他の人々から放たれたよろこびの波動と共鳴し、一体となってより大きなエネルギーとなる。それはすべてにプラスにはたらき、あらゆるものを活性化し、活かすことになる。

ところが、「苦の波動」は、他の人々の苦の波動と共鳴し、マイナスのエネルギーとなって、作用する。当然その力は、すべてを破壊する方向にはたらく。俗にいう怨念とか恨み、嫉妬などはこれである。

アタマを取った人の波動は、つねによろこびを刻みプラスとなって作用している。だから、たとえ地震がこようとも、それをはねのけるだけのエネルギーがつねに家屋にも交流していることになる。それが、家の倒壊までも防いだのである。