さて、それでは「よろこびの
あなたは子どものころ、ふと目を覚まして今日が日曜であることに気づいて、なにやらわけもなくうれしくてたまらなくなったという経験をおもちではないだろうか。この「わけもなくうれしい」という気持ちである。それが生活のなかでこみ上げてくるようになれば、まず法則に沿えているということなのだ。
簡単明瞭なことである。が、しかし、これほど難しいことはほかにないのかもしれない。このような無垢なよろこびを感ずるには、あまりにも私たちは「目に見えることがら」にとらわれすぎているのだ。
私たちが通常感じうるうれしさというのは、たとえば昇進、たとえば入試の合格、あるいは思いもよらず大金が入ってきたなどの、いってみれば利害に関することがらが圧倒的に多い。
そうではなく、ただ平凡に流れてゆく日常のなかに、心底からよろこびが
「自分」を手放した人には欲望がなく、足ることを知っている。だから、いまある自分に満足し、他のためを心底から考えるようになる。つまり法則の説くところの「他を活かす」ということが実践されるのだ。たとえ病気などの、はたからは逆境と見えるような状態にいようとも、こういう人は
それが法則に沿うということである。そして、このよろこびこそが、いかなる大災害からもあなたを救ってくれるただ一つの方法なのだ。