◇第3章 事実は常識を超越する
──私はこうして災難をのがれた
《助かる人は人生をよろこべている》

地震でも動じない自分がいた

◆不思議と恐怖感がなく、家族全員がケガひとつなく無事でした

(神戸市東灘区 M・Mさん 執筆当時・61歳)

その朝、私はめずらしく少し早い時間に目がさめました。トイレに行き、ふたたび寝床に入ったとたんです。急にドーンと衝撃を受けたかと思うと、激しく揺れだしました。ものすごい揺れで、すぐさま子どもの寝ているところへ這うようにしてたどりつき、子どもに覆いかぶさりました。家具や物が次々に倒れてきます。そのとき、私の口からとっさに「最高、最高」と大きな声が出てきました。何がなにやらわからず、出てくるままありったけの声を張りあげて「最高」と叫びつづけていました。

そうしたら、私のなかから、揺れに対する恐怖感がいつのまにか消えていました。子どもも私の声を聞いて、不思議と全然怖くなかったと言っていました。

揺れがつづくうちに、テレビが飛び上がるようにして、私の頭に強くぶつかってきました。しかし、不思議なことに、ケガはまったくありません。おばあちゃんも、本箱やテーブルの下敷きになりましたが、無傷のまま無事に助け出すことができました。

ひとまず揺れがおさまり、外の様子を見ようとしたら、窓がゆがんで開かないことに、はじめて気がつきました。ガラスを蹴破って、外を見たところ、驚いたことに隣りの家が全部崩れて、私の家にそのまま倒れてきていたのでした。

家族全員無事だったわが家は総出で、懸命に近隣の人の救助にあたりました。

法源先生より、今年は天災が増え大変な年になると聞き、覚悟はしていましたが、まさか自分の地域で天災が起ころうとは、夢にも思っておりませんでした。

いまは避難所で被害に遭われた皆さんを励ます毎日です。この地震で皆が、目ざめ、ほんとうの人間になってくれれば、と思わずにはいられません。

家は少し壊れたものの、なにより家族は全員無事でした。ですから、これだけで最高なのだと、心の底から思っております。

 

◆大の地震嫌いがビクともせずに、かすり傷一つなく、家もそのまま残っています

(大阪府池田市 K・Aさん 執筆当時・39歳)

私は今回地震が起きた兵庫県南部に、大阪で一番近い地区に住んでいます。あたりは古い住宅地ということもあり、近くの家々は次々と倒壊しました。すぐ向かいの家は、屋根がわらが上から落ちてきて、危うくもう少しで夫婦が生き埋めになるところでした。とにかく、想像をはるかに超える、ものすごい地震だったのです。

頭を取る前の私は、関西に地震が少ないこともあり、大の地震嫌いでした。ほんの少しの揺れでもビクビクしてしまう怖がりだったのです。

1月17日午前5時46分、熟睡していた私の身体の上に、いきなり、本や洋服が次々と落ちてきました。上に置いてあった物は、瞬時のうちにすべて落ちてきました。さらには横にあった鏡台までもが、ガタンと大きな音をたててひっくり返ってきました。

ひどい揺れがいったいどれくらいつづいたのかは、はっきり覚えていません。かなり長かったように思います。

ふと気がついたら、私の身体はかすり傷一つなく、しかもあんなに地震嫌いだった自分は、どこかへ消えてしまっていました。これほどひどい地震がきても、ビクともしない強い自分に、いつのまにか変わっていたのです。

その瞬間、私は「あっ、これだ! 頭を取ったからこうなったんだ」と強く実感しました。一八〇度変わった自分を、ほんとうに最高だと思いました。

 

──私は講演会の会場では必ず、来られた方々に「最高ですか」と大きな声で呼びかけることにしている。

そう、いまこのときに最高であるか、ないかで明日の人生は決まるからである。だから、いまよろこべていない人は明日もよろこべない生活がつづき、いまよろこべている人は、明日もよろこべる生活が待っているのである。だから、いま「最高」と素直に吐ける自分であることは、とりもなおさず、自然の法則にのっとった繁栄を寄せる生活ができている証拠である。

しかし、ほとんどの人は、こう反論する。「いま病気なのに、なにが最高なものか」「地震で家が倒れたのになぜ最高と吐けるのか」と。つまり、病気が治ったら最高だし、大金が入ってきたら最高だし、家が元どおりになったら最高だけど、……というわけである。しかしそんな最高は、たんなる自己満足にしかすぎない。そんなものが「最高」を刻むということではない。

いま生きている、それだけで最高なのだ。それを素直に表現できるかどうかなのである。そういう人間になったとき、災難がきても動じることなく、対処できる。そして、それが被害を最小限にとどめてくれる力となるのだ。