では、この
万物が
しかし、現実には、
それは「苦の刻み」である。
思い悩み、つねに気が晴れない。そういう
この苦の刻みとなる憎悪、妄執、嫉妬、不安などは、すべて「こだわり」というアタマの思考によって誘発される。
たとえば、家庭を崩壊させたくないばかりに夫の浮気をじっと耐える。責めては元も子も失うからとアタマではわかっていても、やはり夫の顔を見るたびにムラムラと憎悪が
この「思い」と「
苦の刻みは血液の流れをとどこおらせ、ホルモンの代謝を狂わせ、体内に有害な物質を蓄積させていく。これが障害物となって、あらゆる空間にみなぎるエネルギーである
だからこそいつも、「苦を刻むな」と言いつづけてきた。苦だけは刻んではならないのである。たとえあの阪神大震災で家や家族を失った方であっても、いま現在病気をかかえている人であっても、苦だけは刻んではならないのだ。
単刀直入にいえば、「
苦境のときこそ、よろこびを
しかし、これが難しい。難しいけれども、これだけが唯一の救われる方法である。だから、ずっと十年一日のごとく「アタマを取れ」と言ってきた。アタマのこだわりを取って、どんな状況に置かれようとも「苦を刻まない自分」になれと言ってきた。
──阪神大震災の直後、あの大惨事に生き残った人たちは一様に「よろこべて」いた。助かったというだけで足りていた。自分は生きているのだという基本のなかの基本を素直によろこべていたのだ。
しかし、この「よろこび」が死を迎えるまで永続的につづくのでなければ、人間完成にはいたらない。
人間の
そういう自分になれた人、実際にアタマを取ってよろこびだけを刻む人間になれた人は、あの阪神大震災のなかにもおられる。この人たちは、人々が直後の「生き残った喜び」から一転して厳しい現実に苦悩し、ふたたび生命力を落としているなかにあって、ひとつも変わらずに生きてあることによろこび、強い生命力に守られているのだ。
これが大自然の波動と一致した人間本来の姿であり、そういう生きざまの人たちは、自然界の厳しい洗礼からものがれることができるのである。