◇第4章 法則は厳しいが、愛そのもの
《災害で生き残ることこそ自然なのだ》

アタマが取れた人が生き延びる

私はこれまで、大自然の法則にもとづいて、人間がどうしたら天災・人災に遭っても生き延びることができるのかを延々と説いてきた。

最終的にはその法則に沿うしかないのである。

だから、災難を招き寄せる原因となっている自分の生きざまを変えるしかない。それはいくら強調してもし足りない。

前章で紹介した方たちは皆、激震のただなかでも冷静さを失わず、よろこびの(おも)いを()かせつづけていた。この人たちはみな、自分に対する執着が取れていた人であった。つまり、アタマの取れた人であったのだ。死ぬほどの目に遭おうと、「生きてよし、死んでよし」と、自分の命にも執着せずに、達観できていたのだ。

怖いものはなにもなかった。だから、災難のときでも(はら)がすわっていて、冷静でいられたのだ。つまり、アタマを取った彼らは「いつ死んでも最高」と(はら)からそう(おも)うことができたのである。それが、災難に遭遇しても生きながらえる強じんな生命力を発揮させたのだ。

彼らの刻む(おも)いが、波動が、自然界のリズムと完全に合致した。だから命まで落とすことはなかった。生命力が高まっている人、つまり、天行力(てんぎょうりき)が流れやすい人は災難でも生き延びられるということである。

生命力が弱まり、天行力(てんぎょうりき)が全身を十分に通っていかないような人は、いつ淘汰(とうた)されてもおかしくない状態にある。その人たちに共通していることは、いまの生活をよろこべていず、むしろ苦しんでいる。何かに固執して、不安がある、不平・不満ばかりが先に出る、そんな生活を送っている人である。当然ながら、(はら)からのやる気も()いてこない人なのだ。

だから、そういう人たちこそ、真っ先にアタマを取らなければならない人たちなのだ。アタマを取って、こだわりをなくし、何にもとらわれない自分になれば、いま生きて在るということだけで、十分満足できる。

そうなれば、人を憎むことも、社会を恨むこともなく、いっさいの苦がなくなるのだ。つまり、他人の足を引っぱるようなマイナスの要因が消え去る。他をすべて活かす器が備わるのである。そうしたときこそ、生命力が高まって、天行力(てんぎょうりき)が全身を貫通している状態である。

そのようなときには、いかに大災害に巻きこまれようとも、命だけは落とすことがない。これはくどいほど言ってきた。

だから、アタマを取って、生きざまを修正し、苦を刻まない自分になること。いまあなたがほんとうにやらなければならないことは、まずそのことなのだ。

アタマが取れ、天行力(てんぎょうりき)という自然のエネルギーを体内に通せば生命力が活性化され、体内の秩序がびしっと軌道に戻る。だから、がんが治癒することもあれば、エイズが消えたりもする。これは自然の現象、あたりまえの現象なのだ。

それを奇跡だという。「あたりまえ」をあたりまえと受けとめられぬ世の中は、法則に逆らった不自然な世の中なのだ。

健康そのものなのが本来であり、あたりまえ。お金に不自由しなくてあたりまえ。不測の災難に襲われないのがあたりまえ。つまり法則では、「人生はよろこびと繁栄に満ちたものである」のだ。

それがどうだろう。「人生には苦難がつきものである」という言葉が道理だとされている。つまり、人生が不幸なものであって当然だとする世の中であるということだ。こういう逆転があるから、必然の結果を「奇跡」などと呼ぶ。だから、現象が不自然になる。

災害で命を落とすのは人間の本来の姿ではない。災害に遭っても生き残った先の方たちこそ、自然をやれた人である。このことを忘れてほしくない。