私はこれまで、大自然の法則にもとづいて、人間がどうしたら天災・人災に遭っても生き延びることができるのかを延々と説いてきた。
最終的にはその法則に沿うしかないのである。
だから、災難を招き寄せる原因となっている自分の生きざまを変えるしかない。それはいくら強調してもし足りない。
前章で紹介した方たちは皆、激震のただなかでも冷静さを失わず、よろこびの
怖いものはなにもなかった。だから、災難のときでも
彼らの刻む
生命力が弱まり、
だから、そういう人たちこそ、真っ先にアタマを取らなければならない人たちなのだ。アタマを取って、こだわりをなくし、何にもとらわれない自分になれば、いま生きて在るということだけで、十分満足できる。
そうなれば、人を憎むことも、社会を恨むこともなく、いっさいの苦がなくなるのだ。つまり、他人の足を引っぱるようなマイナスの要因が消え去る。他をすべて活かす器が備わるのである。そうしたときこそ、生命力が高まって、
そのようなときには、いかに大災害に巻きこまれようとも、命だけは落とすことがない。これはくどいほど言ってきた。
だから、アタマを取って、生きざまを修正し、苦を刻まない自分になること。いまあなたがほんとうにやらなければならないことは、まずそのことなのだ。
アタマが取れ、
それを奇跡だという。「あたりまえ」をあたりまえと受けとめられぬ世の中は、法則に逆らった不自然な世の中なのだ。
健康そのものなのが本来であり、あたりまえ。お金に不自由しなくてあたりまえ。不測の災難に襲われないのがあたりまえ。つまり法則では、「人生はよろこびと繁栄に満ちたものである」のだ。
それがどうだろう。「人生には苦難がつきものである」という言葉が道理だとされている。つまり、人生が不幸なものであって当然だとする世の中であるということだ。こういう逆転があるから、必然の結果を「奇跡」などと呼ぶ。だから、現象が不自然になる。
災害で命を落とすのは人間の本来の姿ではない。災害に遭っても生き残った先の方たちこそ、自然をやれた人である。このことを忘れてほしくない。