私が説いていることは、一から十まで「自然の法則」である。自分流の私見を申しあげているのではない。それをできるだけ、私情をはさまずに述べることが私の役目であると思っている。
ここで読者の方々によくよく考えていただきたいのだ。先の阪神大震災でも北海道や東北の地震でも、それが起きてしまってから、政府の対応が悪い、防災対策が不備だ、消火活動がお粗末だ、と言ったところで、失われた貴重な命が救われることはない。予測もできぬほどの大地震や天変地異はこれからも起こりうる。いや、もっと規模も頻度も増すと言ったほうがいいかもしれない。
そういうときに、役所や政府の対応を迫っても、もはや人知ではどうにもならない事態であることは、目に見えている。だから、根本的な解決策は、防災対策を万全にすることではないのだ。
それよりも大切なことは、究極的には、「いつ死んでも最高」と言える自分になっておくことなのである。そこまで達観できたら、法則では生き延びることができるようになっている。
だから、アタマを取ってほしいのだ。不慮の災害が起きてから右往左往してもどうしようもない。そうなる前に、いつ災難が降りかかってきても、苦を刻まない強じんな生命力をつけることなのだ。
「生きざまを変えれば、災難からのがれられるなど、科学的でない」と言う方がおられるのも承知している。
しかし、科学といっても、実際のところは、自然界にもともと存在する現象を人間が理解しやすいように理論化、文章化したにすぎないのだ。太古の昔から存在する自然の法則を、人間が必死で追いかけているというのが、正直なところだ。
だから、いまの唯物論的な科学のアプローチがすべての自然界の現象を解明できるはずがないことは明らかなのである。人間の生死の法則までは、いまの科学体系では解くことはできない。
それだけははっきりしている。