◇第4章 法則は厳しいが、愛そのもの
《災害で生き残ることこそ自然なのだ》

天災は大自然からの愛のメッセージ

1991年、長崎県の雲仙・普賢岳が噴火したとき、多くの人が、噴火はすぐにでも収まるだろうと楽観視していた。しかし、いつまでもつづく小噴火や火砕流に現地の人々はあせりを強めてきた。

ちょうどそのころだった。天声がこういうメッセージを送ってきた。

「雲仙・普賢岳の噴火は、その地にいる長崎県民の生きざまに起因している。この噴火を止めるには、いま長崎に住んでいる住民が、(はら)からよろこびが()いている生活を取り戻さなければならない……」

つまり、そこにいる住民が、ほんとうに自然の法則に沿った生活を送ること、それがいま急務であると、大自然が警告を発してきているということだ。

自然の法則に沿った生活とは、具体的にいうならば、病気も、事故も、家庭内の問題、人間関係、仕事なども、すべてにわたって問題がいっさいない生活のことである。まさに、私のいうアタマの取れた人間本来のあるべき生活を送ることにほかならない。

そういう人たちが、あの普賢岳のまわりに多数を占めたとき、噴火は収まるというのである。そして天声は具体的に、生きざまを正すべき人間は7千人以上だと伝えてきたのだ。

私はこのことを長崎や島原の講演会で地元の方々に申しあげた。しかし、ほとんどの人は、この問題の本質について、なかなか理解できなかったようである。

無理もない、という気がするのだが、天災は人災であるというのを理解していただかないと、神戸で起こったような大災害が、これから次々と日本中で発生してくるのは目に見えている。

そもそも、なぜ災難のある場所に住んでいるのか。なぜあなたでなければならないのか、それをたんなる偶然で片づけてしまっては、問題はいっこうに解決していかない。