◇第4章 法則は厳しいが、愛そのもの
《あなたは死にぎわで「最高」と言えるか》

自分の問題で悩んではいけない

そもそも人間が苦を刻む原因はどこにあるのかを探っていくと、結局のところ、ひとつの結論に必ず行きつく。つまり、何かへの「執着」である。

お金への執着、健康への執着、愛情への執着、名誉への執着、子どもへの執着……。

つまり、放すまいとして握りしめ、そのために刻まなくてもいい苦をみずから刻んでいるのだ。そういう人は、必ず人生上で問題が発生してくる。

お金を放すまいとすれば、困窮するようになるし、健康を維持したいとがんばれば、逆に、病気になってしまうのだ。自然体ではないからだ。

自然体とは、足ることを知っていること、つまり、こだわりがないのだ。あってよし、なくてよし、生きてよし、死んでよし。このように何に対しても執着のない人は、むだな苦を刻むことはない。

執着とは、自分の我欲、独占欲のあらわれなのだ。

だから、こういう天声がよく出る。

「病人と貧乏人にだけはなってはいけない」

誤解されてはいけないので説明させていただくと、貧乏人というのは「金の無い人」のことではなく、金の有無にかかわらず、「金に固執」する人間のことである。たとえ1億円を自由に使える状況にあろうと、その金にこだわり、ひたすら握りしめようとする人間。いくら金をもっていても足りず、いつも飢餓感にさいなまれている人間。そういう人を、「貧乏人」というのだ。

逆に、たとえ貯金の一銭もできぬ状況で、財布のなかに千円札一枚入れておくのがやっとという人であっても、その千円でよろこべる人というのは「大金持ち」の器である。この人は早晩、現実の「金持ち」となり、多くの人のよろこびのために自分の人生をもって尽くすだろう。

では、病人というのはいかなる人のことをいうのか。

病人というのは、実際に病気にかかっているか否かにかかわらず、つねに自分の健康状態を「気に病んでいる」人のことをいうのだ。

つまり、病人も貧乏人も、自分のことしかない人ということで共通している。そういう生きざまの人は、このままでは人間完成の道から遠ざかってしまう。当然のごとく事故や災難で命を落としやすい人なのだ。その理由ははっきりしている。自分がよくなりたい、裕福になりたい、それしかないからだ。他のために生きるとか、他を活かすとか、そういう(おも)いがまったくないのだ。自分のことで頭がいっぱいなのである。

そういう人は、地球を汚し、乱している元凶なのである。だから、病人にも貧乏人にもなってはいけないのだ。