◇第2章 生き残るのは奇跡ではない
《人知では天災は防げない》

死は突然にやってくる

生と死。このことが、私たちが生きていくにあたっての重大な関心事であることは、間違いない。

だれにでもやがて死が訪れることは、わかりすぎるほどわかっている。だが、平凡な日常のなかで、私たちが死を意識することは、あまりない。だれもがみな潜在的に死への恐怖をかかえているにもかかわらず、である。

新聞を広げても、テレビのニュースを見ても、毎日おびただしい数の死が報道されている。報道されるからにはたいがいが不慮の死である。人は、それを他人事としてながめている。自分には、あるいは自分の身内には、そのような不慮の死が訪れるはずがないと単純に信じこんでいるかのようだ。

あなたはどうだろう。神戸の惨劇は、やはり他人事であったのか。あなたも自分だけは例外だという根拠のない漠とした思いをもっているのではないか。

しかし、例外など、いっさいない。あなたの生死は法則によってだけ支配される。あなたがいくら「自分は大丈夫」だと思いこもうと、あるいは「絶対に生き残るぞ」とがんばっても、自分の意志どおりにはゆかない。

人は自分の意志で生まれてくるのではない。自分の意志で死ぬわけでもない。すべて、人知をはるかに超えた次元の「法則」にもとづいて生死が決定されるのである。

一瞬にして人命を奪ってしまう天災も、あらかじめその発生を知らされることはない。残念ながら、人間はそこまで大自然をコントロールする知恵も力も持ちあわせていないのである。なぜなら、先に述べたように、人間といえども大自然に「生かされている」存在であることには変わりがないからだ。そこに天災の怖さがある。