◇第2章 生き残るのは奇跡ではない
《悪しき生きざまが天災を招く》

天災も法則にもとづき起こる

まさに現在の日本、いや世界は、このポンペイやローマ帝国の末期にそのままあてはまるではないか。

──思えば、天は数千年のいにしえより、人類終焉への警告を絶えず発信し、人類に伝えてきていたのである。そのたび重なる警告を、人類は無視しつづけてきた。「非科学的だ」とひと言のもとに否定し、みずからの過ちをなんら省みようとはしなかった。

省みるどころか、人間は科学文明の発達とともにますます傲慢となり、その生きざまはさらなる破壊へとつき進んでいる。二度までも勃発した世界大戦、核兵器の行使、目にあまる自然破壊……。しかし天は、そのつど、悲しみにあふれた慈愛を地上に降りそそぎ、すべての生命を包みこんだ。

天とは、生きとし生けるものすべての創造の母であり、愛の根源である。天はただ、あらゆる生命が互いを活かしあい、慈しみあい、支えあって、愛と調和のうちに暮らせることを願っているだけなのだ。

ところが、人間はこれを理解していない。人類終焉に向かって世界各地で頻発する大災害を、勝手に「天罰だ、神罰だ」と解釈する。

そうではない。天は、一つの命といえども、みずからの意志で奪い去ることは決してしない。天の(おも)いに沿う者であろうと、沿わぬ者であろうと、天から見れば等しく愛すべき「わが子」に違いない。母の愛は、わが子に刃を突きつけることなく、ただただよろこびの一生をまっとうさせようと願うばかりなのだ。

そんなあたりまえのことさえ理解せずに、ひとつ大きな天災があれば、「そら、神の怒りだ」とばかりに、自分たちのかかげる「神」に帰依せよと迫る宗教ではん濫している。

それは間違いである。

私が説いてきたこと、あなたに知っていただきたいことは、ただ一つだ。この世界のすべての事象は、法則から成り立っているのだという一点に尽きる。すべては法則にもとづく結果なのである。

「人の幸・不幸は、あざなえる縄のごとし」とはよくいうが、その一個人の人生から始まって、民族の興亡、人類の誕生から終焉まで、すべてを支配しているのは、大自然の法則であるのだ。

天が「母」であるならば、天の、大自然の法則は「父」とも呼ぶべき存在である。すべてを慈しみ愛をそそぐのが天であるならば、その天の意志をかなえるために秩序をつくり、統制しているのが、その法則なのだ。

その大自然の法則に照らしあわせるならば、「天災」という言葉は、本来ありえない。いまもいったように、天は、決して災いをもたらすことはない。

天が災いをもたらすのではなく、天の法則が厳しく作用するのだ。その結果として天変地異が起こるにすぎない。

その法則からすると、よくも悪くも、天災を招き寄せているのは、人間そのものであることは明白である。