ならば、天災にかぎらず、あらゆる不幸をのがれるための解決策は、観いを正常にすることから始められなければならない。
第一章で述べたKさん一家のことをもう一度ふり返ってもらいたい。
少しふれたように、Kさんは7年ほど前(本書初版当時)には、どん底の生活をしていた。彼は、自分の興した会社の経営方針のことで他の役員と意見が合わず、そのうち経営そのものが危機に陥った。もはや破産寸前のところで私のところに相談にこられたわけだ。
その当時は、文字どおり、苦を刻みっぱなしの人生だったと、Kさんは話してくれた。
一つうまくいかないものがあると、それがすべてにわたってしまうのは人生の常である。そのとき、子どもの進学問題から、夫婦の問題から、実父の健康問題から、家族中の問題が一気に噴出したのだった。
それもこれも、彼の苦を刻む生きざまが招いた結果であることは明白だった。
──ところが、彼はみごとに立ち直った。私のもとで、アタマを取る指導を受け、生まれ変わったのだ。
「アタマを取る」とは乱暴な表現ではあるが、簡単にいうと、悩みや苦しみの原因となっているいっさいのこだわりを生み出すアタマをいったん空にすることだ。
アタマは、自分という我であり、損得計算をする元である。前章でも説明したように、人生はアタマの「思い」や「計らい」のとおりにはいかないものなのだ。だから、アタマを取って、首から下の「観い」のままに生きる必要がある。
「思い」がプラスの観いを刻むことを拒んでいるのだ。だから、アタマを取れば、正常にプラスの観いを刻めるようになっている。
アタマを取るその方法は後の章でまた詳しく述べることとしよう。とにかく、そうやって彼は苦を刻む生活からおさらばした。生きているだけで、よろこべる自分に変わったのだった。それからである。彼がやることなすことすべてが順調に運びだし、家庭の問題もいまはまったくなくなった。会社もこの不況にもかかわらず、業績が一定しているという。
Kさんは、まさにプラスの観いを刻む人生を歩み始めたことで、すべての現象がプラスに変わっていったのだ。人生は「観自在」、観うがままの自由自在なのである。Kさんはそれをみごとに証明してくれた。