◇第3章 事実は常識を超越する
──私はこうして災難をのがれた
《助かる人は人生をよろこべている》

苦は理想と現実とのギャップから始まる

これまでに、生き残るための法則を述べてきた。要約すれば、いまの(おも)いが明日の人生に反映するということである。

そして、いつもよろこびの(おも)いを刻むことができれば、健康も、繁栄も約束され、そして事故や災難に遭うこともない人生を歩むことができる、それが結論である。

しかし、現代人の多くは、大なり小なり問題をかかえて生きている。(はら)の底からよろこびを日々刻めている人というのはほとんどいないのである。

人間にはアタマが付いているばかりに、あれこれと先のことを思いわずらい、すでに過ぎてしまった過去のことを悔やむ。人間の悩みのほとんどは、まだ見ぬ未来への不安と、もう二度と帰れない過去への後悔だといっても過言ではない。

先に、人生を決めるのは、アタマの思考の「思い」ではなく、首から下の無意識にこみ上げる「(おも)い」であると述べた。事実、アタマの考えどおりに人生を歩めるのなら、これほど楽な人生はないだろう。しかし、現実はそうはいかない。アタマの算段どおりには、なかなか事は運ばないのだ。そこで、悩むことになる。「こんなはずではなかった」「どうして計算どおりにいかないのだ」……。そこで無意識に苦の「(おも)い」を刻むのである。

人間はもともと「よろこびの表現体」として、この世に誕生している。(はら)からのよろこびを享受できる、地球上で唯一の生物が人間なのだ。

つまり、アタマの算段、計算がよろこびを()かせることを拒んでいるのである。

アタマというのは我欲の我(が)である。つまり、自分中心に損得を考える本体なのだ。この我が付いているうちは、決して(はら)からのよろこびを感じることはない。なぜなら、人間は自分で「生きている」のではなく、「生かされている」存在だからだ。

ほとんどの人間は、そのことを忘れてしまっているのである。つねに自分を起点として物事を判断する癖がついている。自分にとって損か得か、まず優先させるのは、このことである。だから、自分が不幸に遭遇したり、他人が幸福であれば他人をうらやんだり、嫉妬したり、憎んだりするのだ。すべて自己中心的なのである。

こんな生きざまの人間ばかりが地球上にうようよいるとすると、地球はおかしくなってしまうのだ。

だから、われわれが、いままず第一にやらなければならないことは、なにも、災害に対する備えをすることだけではないのだ。そのような自己中心的な生きざまを変えることなのである。

そのためには、何度もいう。自分丸出しのアタマを取ることだ。