だから、厳密にいうならば、法則では、死に際して死因が問題になるのではない。極端な話が、がんでもいい、エイズでもいいのだ。その人が死にぎわで「最高」という
人間の肉体はもともと有限である。数十年も生きているならば、故障の一つや二つはあってもおかしくはない。むしろ完ぺきな人はいないといってもいいのではないか。有限であるから、やがては使えなくなる。それが寿命だ。そのとき病気が引き金になる場合もあるだろう。それはそれでいい。
問題なのは、何度もいっているように、死に際して苦を刻むことだ。病気にかかっていようが、借金を何億かかえていようが、それはいいのだ。
いちばんやってはいけないことは、苦を刻んで死ぬことだ。もしそういう死に方をしたなら、その人は人間完成できなかったばかりか、その生きざまは子孫にまで影響をおよぼしてしまうのだ。事故や災難で死ぬというのはこれに近い。
親子は生きざまの分配である。子は親の生きざまを踏襲して育っていく。つまり、親がもがいて苦しんで死ねば、子どもも同じような苦を刻む生活をつづけ、同じような死に方をしてしまう。それが「生きざまの継承」なのだ。
だからいま生きているあなたが、よろこびを刻んで生きることは、それは即、子孫へつづく生きざまをつくっていることにほかならない。ずばり、法則どおりをお伝えすると、あなたのいまの人生は、5代前の先祖から5代先の子孫までの生きざま・死にざまに影響をおよぼしていく。
あなたの人生はあなただけのものではない。あなたと血のつながっている生命体すべてに影響を与える大切な位置にいるのである。あなたはそのことをわかっていただろうか。